学校制度
rakuya
現在の日本では学校は行くのが当たり前、行けるのが当たり前になっている。
独断と偏見を前提に、偏った物の言い方をするならば、大きな1つの要因がある。
それは、
現在の日本の経済の形が、資本主義経済であり、大きな資本を持つ企業が大量の労働者を必要とする形だからである。
親が労働者として働きに出ている間、子どもの託児所が必要となるのである。そのために学校に行ってもらわないと困るのである。
個人商店などの小さい経済体が社会の主体である場合は、子どもも貴重な労働力である上に、子どもが現場でその事業を学ぶ貴重な期間であるからして、学校ではなく、現場で働くことで学ぶことが多いであろう。
これは良い面も難しい面も両方ある。
良い面としては、誰でも教育を受けられるということである。世界的に見れば、教育を受けることに専念できる期間があるのは幸福なことだ。
難しい面としては、託児所としてだけ機能していて、何のために学ぶのか、などの部分が欠如している学校も出てくるという点である。
学校はそこに居るのが目的ではない。本源的には、自らが学ぶ意思を持って行くところだ。
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